働き方改革は休み方改革「働く時間・休む時間」ともうひとつの時間

働き方改革
言うまでもなく「働いている時間」があるから「休む時間」が必要となります。でも「働いていない時間」=「休んでいる時間」ではありません。つくづく筆者は、一般的なビジネスマンには「働く時間」と「休む時間」とに加えて、もうひとつの時間が存在していると感じています。

それは、「働休の混在時間」です。この「働休の混在時間」の存在に無頓着でいると、結局、何のための改革なのかってことになりそうで、少々心配です。

仕事中は職務に専念することが要求されるが…

どこの会社にも社則や労働規定たるものが存在するはずです。そこには、仕事中は職務に専念する義務があることが謳われています。職務を遂行することの対価が給料となっているので、これは当然の約束だと言えます。ということは仕事中以外、つまり休日は自分のやりたいことに専念することができるということにもなります。

現実問題として、話はそう単純でないことは十分に承知していますが、こうした部分が曖昧になっているからこそ、職務に集中できないケースも多々あると感じています。

海外では、休日にメールを見ない権利が存在する

日本のビジネス文化に当てはまるかどうかは別として、海外には「休日にメールをみない権利」が存在しています。存在するだけでなく、それを主張して通用するケースもあります。もちろん、そんな権利があっても全ての社員がその権利を主張して、会社が上手くまわるのか?とした疑問が生じますが、そうしたケースも海外には存在するのでご紹介しておきます。

働き方改革は、間違いなく休み方改革といえる

働くことの基本は「職務に専念する時間をどのように捻出するか」に限られます。つまり、このために場所や時間帯を工夫することです。しかし、これ以外の時間は全てが「休み時間」かといえば、そうではありません。上述した「働休の混在時間」は、誰にでも存在するはずです。もしかしたらこの「働休の混在時間」は、働くうえで必要不可欠な時間と言えるのかもしれません。

どうすれば良いのかの答えは、残念ながら筆者も持ち合わせていないのですが、こうした時間の存在を労使ともに確認し、認識したうえで改革を行うことが重要だと考えています。つまり、現在「休み時間」と考えている時間に「働休の混在時間」が含まれていて、その存在が認知されていないことに危機感を感じています。

実は、休める時間がふえても実質「働休の混在時間」が増えただけ?

「働休の混在時間」の存在が曖昧だと、表向きは「働き方改革」で「休み時間」が増えたものの、実際は「働休の混在時間」が増えただけ。とした現象が起こってしまう可能性があります。

こうした状態で形だけの「休み時間」が増えても、全体の労働効率は下がってしまうのではないかと心配です。これでは、誰のためにもなっていない改革といえます。この辺りは、経営者だけに責任がある訳ではないと思います。労使が知恵を出し合って解決していくべき課題だと感じています。